賎民がいなければ選良も成立しないのかどうか。

私は、選良に対する個人的な負の感情を社会構造の帰結として抱きそれに拘泥する者を賎民と定義する。

選良は、賎民の存在によって自らが選良である事を強く意識する。選良が帯びる刀には、賎民とのそういったコミュニケーションの象徴としての意味合いがある。

賎民が存在しない世界。それは選良が刀を帯びる必要のないフラットな世界である。端的につまらん世界だ。

すなわち身分制度ヒエラルキーは、この世界の退屈を紛らすための「神の暇潰し(=人間存在)」の一環なのではないか。

魂の選良には賎民は不要だが、社会的選良は賎民との対峙の中から現実を構築していく者であり、身分制度的な選良の賎民との対立軸は社会を回転スピンさせていく原動力となる。

結論:賎民が不要な選良は一握りである。