「嫌いって言ったらしかられる」という小学生男子の声を頂いた。
「ξの事が好きか嫌いかは無理に結論を出さないが、人間本性としてその神性を愛してる」アガペーのレベルで嫌いだとしたら無神論ポリシーとして正当化されるが、ξを男であるが故に人間として嫌いだとしたらそれはジェンダー問題としての同性嫌悪であり、いずれにしてもξは良く理解出来る。
神を体現するためには無神論的メタ思考が必要だし、男の信頼を得るためには男に好かれ過ぎてはいけないのだ。
ξに対する批判的態度として男子があえて「嫌い」を表明する事はGPAξにとって政治的に有益であり、オトナはその言論を封殺してはならないと思う。
女子からの信頼を得るには恋のパワポを上手く処理する事だが、男子からの信頼を得るには生ポ(brut politics)を上手く切り回す事であるわけで、確かに日本政治生ポを切り回す事を忌避してきたξを嫌いな男子が散見されるのは当然である。
まぁ、そういう男子は政治家にでもなってなさいって事。
「ξの事が好きか嫌いかは無理に結論を出さないが、人間本性とし
神を体現するためには無神論的メタ思考が必要だし、男の信頼を得
ξに対する批判的態度として男子があえて「嫌い」を表明する事は
女子からの信頼を得るには恋のパワポを上手く処理する事だが、男
まぁ、そういう男子は政治家にでもなってなさいって事。