思想的自己責任原則とは、自らが採用した思想のもたらした政治的結果について自己責任を放棄してはならないとする警句であるが、日本では全てを行動主体に自己責任化して権力者が社会的責任を取らない方便として使われており誠に遺憾である。
無責任の連鎖は共同体としての社会を崩壊させる。政治的無責任という思想を選択した日本人が属する日本社会を政治力学的に破壊しなくてはならない。
そのために私は、次の戦争(中間選挙で敗北したトランプ政権から始まる)を体よく利用させてもらう。
「次」において日本社会から権力者の無責任を一掃する。それはつまり政治的弱者をエンパワメントするという事である。
権力者が権力者である限り、その権力ポテンシャルは秩序撹乱要因として存在するのであり、その擾乱こそが権力者の無責任の本質である。
然(しか)るに権力者は、自らの持つ権力の減衰と再分配を常に志向すべきである。私の刀はそのための道具なのだ。
無責任の連鎖は共同体としての社会を崩壊させる。政治的無責任と
そのために私は、次の戦争(中間選挙で敗北したトランプ政権から
「次」において日本社会から権力者の無責任を一掃する。それはつ
権力者が権力者である限り、その権力ポテンシャルは秩序撹乱要因
然(しか)るに権力者は、自らの持つ権力の減衰と再分配を常に志