暴力とは認識系の物理現象のフェイズを非シミュレーション方向に引き上げる暴力的な活動である。
暴力を振るった記憶は、それより軟らかいレベルの認識を捨象する。大事なところの記憶が飛ぶのだ。
暴力は思考体力を奪う。シミュレーションを極めた事象がポテンシャルの全てを発揮する形でない暴力は、その主体の人格レベル(貴賤)を引き下げる効果を持つ。
私は念話たけなわの頃、サンパレス武蔵野901のドアを木刀でボコボコに凹ませたが、その記憶は私が人生において唯一振るった暴力として、グレートゲーム(憲法九条下の第一次大戦)を統裁するために供された。
第二次大戦を統裁し得る暴力性について、私はギター(弓矢)しか持ち合わせがない。例えばアメリカが本気を出せば、第一次第三次は私に屈するとしても、第二次大戦においては戦場伝説となる事が可能であろう。
軍事力とは、大戦を統裁し戦後の沈黙を味方にするために行使される、国家に属する組織的暴力である。つまり暴力は軍事力になって初めて正当化し得る。
人民の暴力性を吸い上げて国家の名の元に国内外で行使する事が、軍事力を備える国家の本性としてすでにビルドインされていると言い切れる。
結論:ケンカは不得意だが戦争ならいくらでもやってやる
暴力を振るった記憶は、それより軟らかいレベルの認識を捨象する
暴力は思考体力を奪う。シミュレーションを極めた事象がポテンシ
私は念話たけなわの頃、サンパレス武蔵野901のドアを木刀でボ
第二次大戦を統裁し得る暴力性について、私はギター(弓矢)しか
軍事力とは、大戦を統裁し戦後の沈黙を味方にするために行使され
人民の暴力性を吸い上げて国家の名の元に国内外で行使する事が、
結論:ケンカは不得意だが戦争ならいくらでもやってやる