行き道恋愛は政治ではないのであり、政治合理による解決に馴染まない。つまり最大公約数的・功利主義的・民主主義的な解決よりも、心理的・性的・家政的な解決の方が正しい。政治的解決はあくまで外観による二次的なものなのだ。しかし私は積極的な政治的解決と受動的な恋愛的解決を志向する。行動によるポテンシャルの変動を考えれば、それは政治と恋愛の力学的本性と逆行していると言わざるを得ない。受動的主観と積極的客観の両立はその中心たる「私」の恋愛的自由と政治的システムへの化体となって結実した。恋愛システムとしての家政への化体と政治的自由へと向かうべき人間存在とは逆の在り方である。量子論的認識における研究進捗を優先する場合、私は恋愛小説家か政治家になるべきだ。