日本国最高裁で、性転換した元女性の男性を、普通の女性との間に生まれた(第三者の精子提供)子供の親として認めるという判決が出た。で、生殖医療について。

キーワードは「子供の視点」と「聖域を作らない理論的理解」。

普通の男女の親から生まれる事について子供の視点から理論的に捉え、あくまでその比較対象として生殖医療を考える事にする。

第三者の精子提供は父親との血縁関係がないという事であるが、父親との血縁関係はシミュレーションレベル・思想レベルで家制度が厳然と残っている日本では、子供の思想生活において重要な要因となる。

この点、代理母に関しては親の血縁関係は明らかになるのが通常であり、シミュレーションレベル・思想レベルにおいてはそれ程問題にならない。

無論いずれの場合も子育て段階で何らかの障害になる可能性はあるが、差し当たりシミュレーションレベル・思想レベルでは代理母は肯定的に法制度に組み込まれるべきであり、精子提供は否定的に扱われるべきである。

また精子提供は優性学的な観念が入って来ると思想的に大問題であり、人間性との親和性を適正に調整するためすなわち、女性あるいはその配偶者の身の丈・器に適合した権力欲求を満たす場合にのみ合法化されるべきだと私は判断する。

子供がいなければ満たされない権力欲求というものは人間事象の中に確かに存在する。それを満たすためであれば、少なくとも代理母は認められるべきであろう。

結論:為す処を得。

jleo