政治学・軍事学はもう極めた(当社比)ので、次は哲学にシフトする事にした。

「千のプラトー・資本主義と分裂病/ドゥルーズ・ガタリ」と「世界の共同主観的存在構造/廣松渉」とを並読しているが、前者は単語は簡単だが文意が不明、後者は単語は難解だが論旨は明快である。

で、恐ろしい事に、その2つの本は同じ事を述べていると思われるのである。

「グラマトロジーについて/デリダ」「精神現象学/ヘーゲル」「存在と時間/ハイデガー」「ツァラトゥストラ/ニーチェ」等は哲学史に燦然と輝く名著としてもてはやされているが、前傾書二冊は難解過ぎて哲学史的にも名著とまでは言われていないのが実情である。

哲学のための本を書くとして、哲学史を辿った方がいいのか単体で面白いものにした方がいいのか、哲学の基礎教育が独学である私にとっては後者すなわち哲学史からはみ出る事を厭わない面白い読み物を書く方がよいだろう。

私は前傾二冊の言いたい事が解る。ドゥルーズと廣松の比較研究など誰もやっていないのであり、新たなフロンティアを見つけ身震いしている次第。

キーワードは「ドゥルーズも廣松も若者らしい哲学を持っている」という事、そして「私も哲学的に若い」という事である。

結論:今度は哲学でネ申にアプローチしてみる。

jleo