日本のアニメ・漫画に現れている軍事思想は、本来国家により一元的に管理されなければならない代物だと考える。アニメ・漫画がバカ売れするのは国家の怠慢であるとさえ言える。
現実認識の基盤となり社会の共通基盤となる物語が架空の事実に基づいている事が、どれ程社会にとって危うい事か。それを現実だとねじ伏せる権力は悲しいかなアニメ・漫画にはない。
日本の場合、軍事戦略においてアニメ・漫画が美しさや理論的妥当性において現実を凌駕しており、日本国家のために死ぬのは真っ平ゴメンだが、例えば遠坂凛(「fate」のキャラクター)のためになら死ねるとかいった狂った認識が蔓延するおそれがある。
「国家ために死ね」とは言わないが、せめて「国家の中で生きろ」と言いたい。
日本国が国家としてアニメ・漫画を輸出するのは、軍事思想のコントロールを放棄しているという意味で、国家としての恥さらしであると考える。
とはいえ、政治的権力の側から表現内容に介入する事は様々な意味で危険である。政治権力自らが物語を紡ぐ能力を発揮する事を私は賞揚したい。
しかし日本国はその能力を欠く常況にあると言わざるを得ない。第二次大戦で(子孫にとってハタ迷惑な)玉砕物語を紡いだせいなのか、それとも日本の国民性なのか。日本国が第二次大戦の呪縛から解放された時、戦争的でない物語を紡げるだけの国力が残されているかどうかが勝負である。
「私」は物語を紡ぐ。日本国がそれを利用するもしないも勝手である。ただ、利用したからにはこちらの設定する一定のルールには従ってもらう。嫌なら自分で考えるべきだ。
結論:物語が紡げない国家は滅びる。
jleo
現実認識の基盤となり社会の共通基盤となる物語が架空の事実に基づいている事が、どれ程社会にとって危うい事か。それを現実だとねじ伏せる権力は悲しいかなアニメ・漫画にはない。
日本の場合、軍事戦略においてアニメ・漫画が美しさや理論的妥当性において現実を凌駕しており、日本国家のために死ぬのは真っ平ゴメンだが、例えば遠坂凛(「fate」のキャラクター)のためになら死ねるとかいった狂った認識が蔓延するおそれがある。
「国家ために死ね」とは言わないが、せめて「国家の中で生きろ」と言いたい。
日本国が国家としてアニメ・漫画を輸出するのは、軍事思想のコントロールを放棄しているという意味で、国家としての恥さらしであると考える。
とはいえ、政治的権力の側から表現内容に介入する事は様々な意味で危険である。政治権力自らが物語を紡ぐ能力を発揮する事を私は賞揚したい。
しかし日本国はその能力を欠く常況にあると言わざるを得ない。第二次大戦で(子孫にとってハタ迷惑な)玉砕物語を紡いだせいなのか、それとも日本の国民性なのか。日本国が第二次大戦の呪縛から解放された時、戦争的でない物語を紡げるだけの国力が残されているかどうかが勝負である。
「私」は物語を紡ぐ。日本国がそれを利用するもしないも勝手である。ただ、利用したからにはこちらの設定する一定のルールには従ってもらう。嫌なら自分で考えるべきだ。
結論:物語が紡げない国家は滅びる。
jleo