今日はデイケア後、元デイケア仲間と焼き肉・・の予定が、T氏がゴネてお流れになったので結局カノジョの家で二人でデートとなった。

T氏いわく「遠山さんは弱者と貧乏者と共産主義者をバカにしていて、軍国主義者であり大した人物とは思わない。よって今日は会わない」という事らしい。

向こうから「仲直りしたい」と言ってきたのにおかしな話である。T氏は「何か企画して相手が乗ってきたら撤回する」という性向を具備しており、ああ病気なんだな、といったところ。

そもそも「障害者の人権擁護をする弁護士になりたい」と公言し新社会党に出入りしている私には、彼の批判は当たらないと言わざるを得ない。

明らかにT氏はどうにかして私を政治的に劣位に置きたいのだが、そういう矮小な人間には「私」は負ける気がしない。私に政争を挑む愚かさを、社会の底辺にもなれないその身でしかと味わうがいい(鬼)。

とここで、障害者は守ってくれる人にケンカを売る傾向がある事に思い当たる。障害者の人権擁護を標榜する私としては、彼を守ってやらなければならない。

彼の自我を守ってやるには、彼の自我が私という存在に対して劣等感を抱かないようにする事、具体的にはしばらく絶交してほとぼりを冷ますべきだと考えるが、それをこの一年実践した結果がこれであり、もうT氏はビョーキの元友人として保護対象に認定である。

障害者の人権擁護以前の精神障害者の人格尊重について「どうなんだろう。。」と思った事案であった。

障害者の人権擁護のためにはまず障害者の人格・自我を尊重しなければならないが、障害者の人格を尊重する事は必ずしも順法的とは限らない。法律的なアプローチを取る限りは、障害者の人格を多少なりとも順法的に修正する必要があり、そこは障害者個人個人に対するキメ細かい対応と障害者一般に対するシステマテイックな対応のバランスを取る中で、ケースバイケースでやっていかなくてはならない。

結論:解決すべきケースは身近に転がっているものだ。

jleo