「現代日本の政策体系/飯尾潤」を読了した。

政策提言というより、現代日本の問題点を洗い出しそれに対するアプローチのいくつかの選択肢を示し、あとは読者の判断に委ねるといった作りになっている労作である。

高度経済成長期は欧米の政策の「分解復元」が日本の政策の柱だったとか、日本は国際公共財を提供するよう期待されているとか、首相公選制によるボナパルティズムに警鐘を鳴らしてみたり色々忙しく議論した後(どれも世界政治において私が実践している事である)、「政党政治による討議型民主主義」という枠組みの中で政権交代を繰り返すしかない、という筆致には一種の悲壮感すら感じさせる。

ちなみに我が邦(私の脳内)では総選挙(大戦時のブレーンストーミング)の結果、原理主義過激派はほぼ完全に理性のコントロール下にあり、衆議統裁方式と大和と刀戦略によって対外方針を決定しその実行にあっては五次元認識事象系を併用、内政においては産業インフラ・文化インフラの関養を第一計画目的に挙げ10ヵ年計画を遂行中である。

我が邦の建国当初の問題点は、戦略兵器(このツール)に依存している・経済的持続可能性が不足しているなどであったが、戦術的な振る舞いのコツを思い出して投資を軌道に乗せた事により、ほぼ解消された。

我が邦は日本国政府とは次元が異なる存在であり、我が邦の政治力を直接日本国に献ずる事(私が政治家になる事)は今のところ不可能であるが、日本国の政治行動を非難したりサポートしたりする事はできている。

世界政治で我が邦が果たしている役割を考えれば、我が邦に政権交代は当分起こりそうもない。唯一恋愛によってはそれが起こるかもしれないが、それは量子論的偶然性の範疇に属するため予め論じるのはナンセンスであろう。

jleo