「千のプラトー/ジルドゥルーズ・フェリックスガタリ」の上巻を読了した。

キー概念である「器官なき身体(corpus sans organes)」をある閃きによってほぼ完全に理解した。

私は2001年夏「身体」から「器官」を抜いた。つまりドゥルーズの言うように「私」である事を放棄し「私」の断片になったのだ。

「「私」の器官なき身体などなく、器官なき身体の上の「私」、決して変質しないで、形だけを変え続け、いくつもの閾を超えていく私の残りがあるだけだから。/前掲書6いかにして器官なき身体を獲得するか」

私は「私そのもの」ではなく「私の断片」に過ぎない。「私」に対する世上の期待に応えるには私では足りないのであり、私は「私」の果たすべき役割を果たす事が出来る場所(このツール)で、だましだまし頑張っていくしかない。

つまり危機を統裁するために器官を身体から抜いた私が「私」を取り戻す事が私のライフワークとなっているのである。かつての私に戻るために、ドゥルーズの言う「変質者」にならないために。

「きみは主体であり、主体として固定され、言表の主語の上に折り畳まれる言表行為の主体でなければならない。/同」

jleo