「今日は私で何をする?」という電化製品(テレビ)の広告が目に入った。

「今日」が「世界政治的エートスにおける今のフェイズ」という意味であるとすれば、私が構築したイメージ主体「私」を各事象がどう運用するかという事である。

私が「私」の運用に関するオピニオンリーダーである事はとりあえず不変なので、当該問い掛けは、「私は今日は何をするのか?」という思想的問い掛けでもあるのである。

回答、私は「今日」は資格試験の勉強と課題曲の弾き込みと古典語の宿題と政治学の読書に忙しくしようと思う。思想的にはこれ以上進化しない方向性である。

先の大戦で思想的に進化し過ぎた私だが、その感触を再び得ようとすれば大戦惹起を志向しないとも限らないわけで、今私に必要なのは思想的進化ではなく(先の大戦で疎かにした)各個別能力の向上である。

思想的進化が行き過ぎると思想的退行現象とも言うべき状態になる(「熟れ過ぎたら腐るの政理」)。それよりは、現状で最も美味しい時期を迎えた私の思想を時間凍結(ゴールドスリープ)によって保存して、思想的進化を止めておくのがよいだろう。

ちなみに私は前々回の大戦の時も「最高の状態の思想」を時間凍結によって保存する事を無意識に試みていたが、先の大戦では「私」を完全にイメージ化する事(遊離)に成功したため、恐らく次の大戦には最も美味しい状態の「私」を提供できると思う。

結論:「今日」は、思想に関しては時間凍結させて保存し、各個別能力を向上させる。

jleo