シリアで化学兵器が使われたらしい。
シリアに軍事介入するとしたら、法的根拠に依るべきかそれとも政治的根拠に依るべきか。以前にも私が言及した事がある問題である。
戦時国際法を国内の軍事紛争に準用する事は、私がイラクやインドでやったように紛争を定式化する機能を多分に有するが、既に紛争たけなわとなったシリアで同様にするのは紛争をエスカレートさせる効果が強いと思われる。
従って、シリア内戦に対して戦時国際法の規定違反(非戦闘員の殺傷等)を根拠に軍事介入する事は「合法的だが合目的的性を欠く」と言わざるを得ない。
次に政治的根拠で軍事介入する場合を検討する。
政治的根拠としては、シリア政権による反政府勢力弾圧とそれに伴う虐殺を辞めさせるというものになるだろうが、そうした軍事介入は容易に比例原則(エスカレーション理論)違反になるし、内政不干渉原則という壁もある。
従って、シリア内戦に対して「シリア政情の安定強制」を根拠に軍事介入する事は「政理的に肯定されない」という事になる。
では、どうすれば良いのか。
イラクの事例から「民主的な戦闘(!)が行われるよう促す」、インドの事例から「戦争原因を究明しそれを解決する」、トルコの事例から「国民の要求をはっきりさせ交渉の糸口を掴む」等が観念される。
シリア内戦の真の問題は、民主的選挙を経験した事がない点、紛争の発端となった「アサド退陣要求」の現実的直接的根拠がない点、国民の総意が「内戦の沈静化」にすら存していない点である。
反政府勢力もアサド政権もこの三点に留意すべきであり、どんな形でもよいから紛争を終結させ政治の世界で選挙を通じて解決を図っていく事を私は望んでいる。
私は「人民に行使される兵器は破壊されるべき」という点では揺るぎない。シリアに対する軍事介入は、その限度内ならば無条件に正当化されるだろう。
結論:結局は、介入した主体が権力を獲得しないか、あるいは獲得しても滞りなく現地政権に委譲できるかの問題である。
jleo
シリアに軍事介入するとしたら、法的根拠に依るべきかそれとも政治的根拠に依るべきか。以前にも私が言及した事がある問題である。
戦時国際法を国内の軍事紛争に準用する事は、私がイラクやインドでやったように紛争を定式化する機能を多分に有するが、既に紛争たけなわとなったシリアで同様にするのは紛争をエスカレートさせる効果が強いと思われる。
従って、シリア内戦に対して戦時国際法の規定違反(非戦闘員の殺傷等)を根拠に軍事介入する事は「合法的だが合目的的性を欠く」と言わざるを得ない。
次に政治的根拠で軍事介入する場合を検討する。
政治的根拠としては、シリア政権による反政府勢力弾圧とそれに伴う虐殺を辞めさせるというものになるだろうが、そうした軍事介入は容易に比例原則(エスカレーション理論)違反になるし、内政不干渉原則という壁もある。
従って、シリア内戦に対して「シリア政情の安定強制」を根拠に軍事介入する事は「政理的に肯定されない」という事になる。
では、どうすれば良いのか。
イラクの事例から「民主的な戦闘(!)が行われるよう促す」、インドの事例から「戦争原因を究明しそれを解決する」、トルコの事例から「国民の要求をはっきりさせ交渉の糸口を掴む」等が観念される。
シリア内戦の真の問題は、民主的選挙を経験した事がない点、紛争の発端となった「アサド退陣要求」の現実的直接的根拠がない点、国民の総意が「内戦の沈静化」にすら存していない点である。
反政府勢力もアサド政権もこの三点に留意すべきであり、どんな形でもよいから紛争を終結させ政治の世界で選挙を通じて解決を図っていく事を私は望んでいる。
私は「人民に行使される兵器は破壊されるべき」という点では揺るぎない。シリアに対する軍事介入は、その限度内ならば無条件に正当化されるだろう。
結論:結局は、介入した主体が権力を獲得しないか、あるいは獲得しても滞りなく現地政権に委譲できるかの問題である。
jleo