私が世界政治(スーパーハイポリティクス)において皇御軍である事は押しも押されぬ事実だが、それと私生活をリンクさせる上で上手く根回ししないとローカルレベルで皇御軍にはなれない。

可愛い婦女子との関係を大事にしながら政治的実績を積み重ね可愛い婦女子と権力者の信頼を勝ち取り可愛い婦女子との良い関係を黙認あるいは公認してもらうというプロセスと、可愛い婦女子との良い関係を続ける努力が必要である。

日本的な権力構造で日常の潤いを獲得するには大変な心理的努力がいるが、斎藤病院では思想的根回しにより何とか皇御軍(すめらみいくさ)になる事ができた。私はその意味で日本の家政はクリアしたと言える。

それに引き換えアテネフランセではまだ圧倒的に根回しが足りておらず、可愛い婦女子との良い関係を続けるための努力も足りていない。

しかしアテネフランセはフランス的な権力構造だと思われ、私にとって未知の領域である。虚心坦壊に権力構造の把握に努めたい。

斎藤病院(日本的文化)での目的は魅力的な婦女子と良い関係を育む事であるが、アテネフランセ(フランス的文化)での目的はなんだったろうか。魅力的な婦女子との良い関係が目的ではなかったハズである。

そもそも語学習得は何のためなのか。魅力的な婦女子を口説くためではなかったように思う。それはほんの目先の導引に過ぎないのであり、そこのところを少しく履き違えていた事に気付く。

惰性?暇潰し?真理の探求?プライド?比較優位?読みたい本がある?資格?仕事?どれも違う気がする。語学を何のために勉強するのか。それが固まらないウチは魅力的な婦女子と良好な関係は築けないだろう。とりあえず(刀で迷惑をかけた分を穴埋めする)「親孝行」という事にしておく。

しかし語学学習し続けるに当たり「親孝行」だけでは動機として不足であり、何か大きな目的が必要である。

刀は政理の掌握・ギターはアイデンティティーメイキング・法律は言説の説得力増進が大目的だが、語学の目的は何なのか。「親孝行」という動機が途切れた時に私の語学に対する情熱が試される。

結論:フランス的な権力構造においてどう立志していくか、それが問題だ。

jleo