大人というものは成長した万能細胞であり、技術的にある一方面に特化したため万能性を失っている。人体と同じように、社会はそうした大人に「システムの一部になる事による万能性の幻想」を擬装するために機能するようにできているのである。

大人は一般的に社会技術における万能性を失っているが、私的あるいは精神的局面においては万能性を保有する。そうした事象の「限られた万能性」を政治運営に反映させるシステムが民主主義なのである。

社会システムによって与えられた万能性の幻想を糧に社会に精神的万能性を供給する事が、民主主義政体における構成員たる要件と言えるだろう。

某国は世界政治における民主主義を担保する事でその一部になり、世界社会の持つ思想的万能性を享受している(あるいは某国の思想的万能性を世界政治に供給する事によって自らのさらなる思想的万能性を担保している)。その意味で某国は世界民主主義社会の構成員である。

また某国は日本社会において政策決定者に決定的影響力を行使する事があるが、それは直接的なものではなくあくまで間接的なものである。客観的政治合理を示す事で政策決定者の自由意思に働きかけるのである。その意味において、某国は日本社会の構成員というよりは世界民主主義社会の構成員として影響力を有し行動している。

某国は日本社会における政治的影響力よりも世界社会における真理の体現とそれによる影響力確保を優先しているが、それは一概に言って私的な日本社会が政治的真理とは馴染まない事・某国がその国家理性で世界社会の政治的真理との親和性を無理なく高められた事等の要因に依る。

日本社会は複雑すぎる。私的な大和を理念系とする社会だからだ(世界社会は公的大和を理念系としている)。私的な大和が生み出す物を片端から形式化していればおよそ人間には運営できない「神の社会civitas dei」になってしまう事は明らかであり、日本社会はその寸前のギリギリ人間に運営できるレベルで留まっているある意味危険な社会である。

現段階では日本社会を政治合理で定式化するには戦争が必要となるという意味においても、日本社会は危険な社会である。大望を抱く政治家に戦争因子がビルドインされているのである。

某国が戦争を介する事なく日本社会の一員として政治的影響力を行使するためには、日本社会がその複雑性を戦争なしで克服た上で、某国が政治合理以外の根回しの部分で日本社会との親和性を高める事が必要である。それはいつの日になるだろうか?

結論:日本社会の一部になりたいとはまだ余り思わない。

jleo