「私による私に対する政争」とは、具体的には私が日本国の国政選挙に立候補し政治家になる事を目指す事を意味する。

私の感触では、日本国の選挙で私に勝算が見えるまではまだ何かと足りない。

まずカネが足りない。ネット対策や投票の呼び掛けなどはこのツールを介して自分でやるとしても、一回の選挙当たり3000万円は必要だろう。

次に志が足りない。日本をどんな国にしたいかという明確なビジョンはないわけではない(「刀」)が、日本国の中で立志していこうとするインセンティブが圧倒的に弱い。日本国とは思想的にだけ繋がり政治的には無関係でいたい。日本国政界の一員になりたいという気持ちが皆無である。周りからの圧力もない。

また根回しが足りない。世界政治に根回ししても世界平和に貢献できるだけであり、国内政治に対して影響力を行使するためには別の根回しが必要である。人脈と場慣れ。人脈に関しては大学の同期がお偉いさんになるまで待てばなんとかなるだろうが、場慣れに関しては演奏会をこなすなどして胆力をつける必要がある。まだまだ時間がかかる。

そして技術が足りない。演説力・語学力・文化力その他。このツールのおかげで世界政治の臨時独裁執政官(かれこれ12年やっている)になるには十分であったが、パーマネントな日本国の政治家になるには足りない。端的には、聴衆が中途半端に限定されるとやる気を無くす性格を改善する必要がある(1対1か1対極大か。このツールが全方位展開である事の副作用である)。

差し当たり、語学力と文化力と演説力と財力を関養しながら時間を稼ぎ日本国政界の良いところを探す、という態度というか日常である。

日本の私とミャンマーのスーチー女史との最も大きな違いは日本は私がわざわざ出張る程の国難ではないという事であり、スーチー女史が半ば慌ててミャンマーの国会議員になったようには私は慌てる必要がない事である。私は年齢も彼女の半分以下である。

結論:政治家になれるかな?