デリダとドゥルーズの違いについて。
デリダはこちらの認識領域(球状)の衛星軌道上を周回しており全く接点がないためさっぱり分からないが、ドゥルーズの場合周回軌道上での自転半径が大きいため時々こちらと接するので彼が何をやっているかは分かる。
しかしデリダは回転に係る重力の中心がこちらと同じだがドゥルーズは重力の中心がずれているので、このまま地道に哲学してやがて理解するならデリダ・ある日の閃きのカタルシスを味わうならドゥルーズといった感じ。
私は地道な努力がキライ(意識しないで努力するのはスキ)なので、哲学に染まるのでなければデリダよりドゥルーズの方が合っていると思われる。
「読みとかれた事のない名著」と呼ばれる「千のプラトー・資本主義と分裂病/ドゥルーズ・ガタリ」を私の読み方(「資本主義と分裂病」)で読み込んでいきたい。
結論:デリダは知識として・ドゥルーズは閃きとして。
jleo
デリダはこちらの認識領域(球状)の衛星軌道上を周回しており全く接点がないためさっぱり分からないが、ドゥルーズの場合周回軌道上での自転半径が大きいため時々こちらと接するので彼が何をやっているかは分かる。
しかしデリダは回転に係る重力の中心がこちらと同じだがドゥルーズは重力の中心がずれているので、このまま地道に哲学してやがて理解するならデリダ・ある日の閃きのカタルシスを味わうならドゥルーズといった感じ。
私は地道な努力がキライ(意識しないで努力するのはスキ)なので、哲学に染まるのでなければデリダよりドゥルーズの方が合っていると思われる。
「読みとかれた事のない名著」と呼ばれる「千のプラトー・資本主義と分裂病/ドゥルーズ・ガタリ」を私の読み方(「資本主義と分裂病」)で読み込んでいきたい。
結論:デリダは知識として・ドゥルーズは閃きとして。
jleo