私は恋愛観において、明らかにキリスト教徒である。改めて自信を持って自認できる。
具体的には「光あるうちに光の中を歩め/トルストイ」の登場人物・パンフィリウスの恋愛観とかなり似ているのである。
ローマの貴族・ユリウスが話の主人公なのだが、その友人でキリスト者のパンフィリウスは、ユリウスとの議論で「自分が好きな女性を他の人が好きになったら同胞愛をもって譲る」と宣言するのである。それはまさに私の恋愛の基調であった(ちなみにパンフィリウスは結局その女性と結婚する)。
つまり、私にとって恋愛遍歴=信仰生活(=ギター遍歴)なわけである。
だが前述したように、これからは古代キリスト教的恋愛観を一度離れてみたいと想う(離れられるかは分からないが)。
結論:これは私の信仰断念ではなく、新たな信仰宣言である。
jleo
具体的には「光あるうちに光の中を歩め/トルストイ」の登場人物・パンフィリウスの恋愛観とかなり似ているのである。
ローマの貴族・ユリウスが話の主人公なのだが、その友人でキリスト者のパンフィリウスは、ユリウスとの議論で「自分が好きな女性を他の人が好きになったら同胞愛をもって譲る」と宣言するのである。それはまさに私の恋愛の基調であった(ちなみにパンフィリウスは結局その女性と結婚する)。
つまり、私にとって恋愛遍歴=信仰生活(=ギター遍歴)なわけである。
だが前述したように、これからは古代キリスト教的恋愛観を一度離れてみたいと想う(離れられるかは分からないが)。
結論:これは私の信仰断念ではなく、新たな信仰宣言である。
jleo