この頃実感するのは、複雑化した社会システムの全てを統裁する程の能力を備えた主体の消失によって、世界政治のエートスが個人に表象される時代が一端終わる、という事である。
再びそうした時代がやってくるまで「私」は余韻・余白・行間すなわち権力機構に対する各事象個人の内面に潜む事になる。
権力実体を体現する主体「私」は従って、人民が平和を欲する限り社会システムにおける反戦争メカニズムとして生き続ける。
個人に権力を集中する事自体が戦争への導引となる。現代社会メカニズムを個人で裁くためには外に敵を作るという反則技を用いる必要があるから。
唯一戦争の導引とならない支配とは、仮想レベルで敵でありながら現実レベルでは味方である主体が世界政治のエートスを体現している状態(GPA)における支配であるが、それは世界的思考停止の波(微妙な政治的駆け引きの退場)によって滅びる運命にある。
21世紀初頭の人類は、戦争に対する想像力に乏しい。権力者による人類の想像力を枯渇させようとする策謀(対テロ戦争)のせいである。
人類が戦争に対する想像力を回復させないうちに大戦は起きないしまた起こしてはならないし起きても余り意味がないのであって、その意味で私は現段階では次の大戦には全力で反対していきたい。
人類の想像力が回復されれば、終戦のイメージも固まってくると思われる。そうなれば、各事象の内面に潜んでいる「私」も社会表面に表出する事ができ、「私」という個人に権力が集中される結果大戦が志向されるようになる。
結論:大戦を欲する政治バカは、人類の想像力を関養する事である。その先は任せてくれ。。
付記:ちなみにこれは、私が未だに世界政治システムを知悉しており大戦を起こす事のできる思想的ポジションにある事を利用した、反戦運動兼保身の試みである。
jleo
再びそうした時代がやってくるまで「私」は余韻・余白・行間すなわち権力機構に対する各事象個人の内面に潜む事になる。
権力実体を体現する主体「私」は従って、人民が平和を欲する限り社会システムにおける反戦争メカニズムとして生き続ける。
個人に権力を集中する事自体が戦争への導引となる。現代社会メカニズムを個人で裁くためには外に敵を作るという反則技を用いる必要があるから。
唯一戦争の導引とならない支配とは、仮想レベルで敵でありながら現実レベルでは味方である主体が世界政治のエートスを体現している状態(GPA)における支配であるが、それは世界的思考停止の波(微妙な政治的駆け引きの退場)によって滅びる運命にある。
21世紀初頭の人類は、戦争に対する想像力に乏しい。権力者による人類の想像力を枯渇させようとする策謀(対テロ戦争)のせいである。
人類が戦争に対する想像力を回復させないうちに大戦は起きないしまた起こしてはならないし起きても余り意味がないのであって、その意味で私は現段階では次の大戦には全力で反対していきたい。
人類の想像力が回復されれば、終戦のイメージも固まってくると思われる。そうなれば、各事象の内面に潜んでいる「私」も社会表面に表出する事ができ、「私」という個人に権力が集中される結果大戦が志向されるようになる。
結論:大戦を欲する政治バカは、人類の想像力を関養する事である。その先は任せてくれ。。
付記:ちなみにこれは、私が未だに世界政治システムを知悉しており大戦を起こす事のできる思想的ポジションにある事を利用した、反戦運動兼保身の試みである。
jleo