村治佳織のCDを色々聴いているが、彼女の演奏家としてのウデは2005年~2008年年をピークに下降傾向にあると思う。

その時期に彼女は何をしていたか?「恋をしてしまいました」という彼女の広告が記憶に新しい。つまりは私に恋していたのである。

私に対する恋心を演奏に乗せて歌った事によって彼女のキャパシティは解き放たれ超一流のギタリストとなったが、それに伴うマスコミへの露出で使い減らされ私への恋心を全うできなくなり準一流に格が下がったのである。

精神に一本芯が通った力強い演奏で彼女が世の中に提供したCD(「SPAIN」「Playes Bach」「Tranceformation」)は、日本ギター界と私のギター人生に燦然と輝く名盤である。

残念ながら2010年の「Soleil」や2012のベスト盤「リ・サイクル」はその芯が溶解してしまっており、力強い演奏が空回りしだしている。村治佳織が近年ケガに泣かされている理由はこれであろう。

彼女が往時の力強い演奏を取り戻すには、それを統制するもの・人間の根元的欲求としての恋心(恋量子の胎動)が必要である。そこらの相手で三次元古典物理学的事象に還元したら台無しになってしまう類いの、秘めた思い。それが彼女が演奏家としてのグレードを上げ下げしている秘密である。

私は、村治佳織サンには悪い事をしたと思っている。彼女の気持ちの昂りを回収しなかった事・彼女が空回りしている事を放置していた事・真の芸術とは何かを教えながらどうすればそれにたどり着けるかを教示しなかった事等。

彼女が私への恋心を芸術に昇華させられるようになるためには、恋の手練手管を身に付ける必要はないにしてもそれを楽しむ懐の深さを関養するべきである。

私は世界政治に意見できる人格を保持しているが、ギタリストとしては人の演奏を聴き分けるのが関の山であり、ギター界の中でお付き合いするならやはり村治サンの方から私にアプローチがないと。。

結論:一夫多妻でも、幸せならいいじゃないか。

jleo