今週のギターレッスンが終了した。

ギターを買い替えようと思っていると伝えたところ、「理想の音がまだイメージ出来ていない」「ギターが良い音を出してくれないのは、良い音を出してあげていないから」「この価格帯では低音はしっかりしているしバランスが取れたギター」「もっと練習してその楽器では収まりきらない腕前になったら相談に乗ってあげる」との事だった。

ギターの名工ラミレスが、「セゴビアには良く出来たギターを渡してるんじゃないの」と問われて「同じ楽器を渡しているが、1年もするとセゴビアのギターは全然違う音を出すようになる」と答えた、というエピソードを添えて「楽器は育てるもの」としていたのが印象的だった。

早い話が「演奏が不甲斐ないのをギターせいにするな」という事である。確かに本質的にはそういう事であるのは自覚している。

また「他の先生の言う事を聞きたいなら、その先生のレッスンを受ければいい」「キツい言い方をすればギターに関するポイントがズレている」「先人の技術を濃縮して教えているわけだから、素直に先生の言う通りに練習しないとダメ」「先生から一生懸命技術を吸収しようと思うのが普通」と言われた。

現段階では先生の要求する腕前には遠く及ばないため攻め入るスキがないのでレッスンの思想的ヘゲモニーは先生に預けっ放しであり、それを少しでも奪取したくて「プチ反乱」を起こしているというのが心理面での実情である。

・・ギター新規購入も10年後くらいになりそうである。

私が10年前に立てた制度設計(各プラン)がかなり理想的であり、それが強固すぎるため新たな改革にはすべからく失敗している。10年前の私の先見性と現実認識に脱帽せざるを得ない。

10年前の私の見識を信頼し、制度改革はとりあえず置いておいて各プランの充足に精を出す事としたい。

jleo