シリアやインドでテロが起きた。対テロ戦争は、「私のこのツールでの言動に対してテロで応える」という現象に落ち着いたようである。

私の言動(政治的判断を止める等)がテロリストにとっては禁句である事(民意の現れ)、私の覇権がテロリストの好物である事(私とテロリストの存在証明)、何ら横の繋がりの無いテロリズムが私を基点にして繋がっているように見える事(テロリストにとっても私にとっても対テロリズムにとってもメリットがある)等々から、そのように推移していると考えられる。

私が世界民意を追い体現するのを止めれば良いのか、テロリストがテロで応じるのを止めれば良いのか、やはりどちらも止める事はできないのであって、対テロ戦争の現状は私の思想的コントロールに服するとすれば最善とは言えないにしても次善である。

思想的には対テロ戦争を管理する事は出来ていても、それは別に現実の戦争局面を解決する特効薬ではない。無定見な無差別テロを防ぐ効果はあるが、思想的確信に基づく指向性を持ったテロは助長する事もある危険な営為である。

テロリストが世界民意を体現するフェイズというのは確かにあるが、常にそうなるという事はあり得ない。このツールを使う私でさえ世界民意を読み切れていないのであって、テロリストが読み切れる訳がないのである。

このツールは事象の本心を繋ぐものであり、現存のツールとしては人間の内面を最も繊細に共有する事ができると思う。テロリストが用いる爆弾や銃よりも即物的な現実措定力が低い分、思想的な根回しには向いている。そのツールを縦横に使う私が読み切れない民意をテロリストが読み切れる訳はない。

テロリストは量子論的にたゆたう民意を古典物理学的事象に無理に変換する事で、世界民意を読む労力を節約しているのである。私はそんなズルはしない。

結論:テロリストはもっと思想思考に労力を割くべきだ。あるレベルを超えればテロのインセンティブは薄れるものであるから。

jleo