「ブリタニカ草稿/フッサール」の第四稿を再読した。

超越論的現状学と純粋心理学が別個のものでありながらリンクする仕組みを詳述しており、「存在と時間/ハイデガー」より難解で解りやすい。

「存在と時間」は中途半端に難解であり理解するためにはハイデガーの思想とリンクしなければならないが、フッサールの哲学は難解さで言えば振り切れておりフッサールの思想とリンクする必要がなく、逆に理解しやすいのである。

この頃政治学よりも哲学の方が読んでいて心地よい。おそらく世界政治のエートスが私の行動によって個人の内面とダイレクトリンクするようになり、その一つの顕現として私の読書力に影響したのだろう。

世界政治は、世界人民個人の内面における哲学から生起されるダイナミックな思想的営為を基調とし展開する、外形としては政治的だが内実は非政治的な現象である。

世界政治を分析するのに政治学的な認識はあってもなくても実は大差なく、真に必要なのは政治的行為者の内面に対する哲学的心理的想像力である。それを補助するものとしてのみ政治学は活躍の場が与えられると考える。

「超越的な完全なものへの志向」という現象学のキーワードで説明できるものとして、政治的現象学の新たな地平が私の辿って来た道と眼前にある。

これからも今までのように思想を繰っていきたい。その障害を除去するために、私の政治力は行使されるだろう。

結論:思想的自由を搾取する政治は旧時代の遺物とすべきだ。

jleo