「道徳形而上学原論/カント」を読んでいる。

明らかに形而上学ではない内容であり、カントがこの内容にこの題名をつけた事について、私は「カント的狂気」すら読み取った。

カント的狂気とは、「理性と悟性を区別する細心さと形而上学と哲学を同視する大雑把さの同居した状態」を維持するカント独特の偏執の事である。

フロイトは自身の思想における性欲のファクターを過大評価しており、フーコーは思考実験における箱庭的政治に対する嫌悪感が思想のバックボーンであり、私にとってはカント・フロイト・フーコーの三者とも暇潰しにはなるが人生を懸けた研究対象にはなり得ないと感じた。

この調子でソシュールとヘーゲルにも当たってみる。

jleo