「開かれ/ジョルジョ・アガンベン(L'aperto/Giorgio Agamben)」を読了した。
前半部のリンネやアウグスティヌスの数々のラテン語の引用はほとんど理解できた。ヨーロッパの思想書を読む際はラテン語は不可欠であり、学習していてよかったと思う。
後半部はよくわからないメタファーのオンパレードであり、アガンベンの人間観とリンクしないと完全には理解できないと思われる。言っている事は理解出来たが本当に何を言いたかったのかいまいち分からない。
アガンベンの本はその代表作である「ホモ・サケル」を読んだ事があるが、隠された性欲にこだわるフロイト学派の本が私の理解に苦しむように、フーコー流生政治の流れを汲むアガンベンの本は私には余りしっくりこなかった。
「スュールレアリズム/アンドレ・ブルトン」「暴力批判論/ヴァルター・ベンヤミン」を併読しているが、ヨーロッパの思想は本質的に間違った言説(フロイト学派とフーコー学派の事)を捨象して新たな地平に入るべきである。
次は「千のプラトー/ジルドゥルーズ・フェリックスガタリ」を暇に飽かして適当に読むつもりである。
jleo
前半部のリンネやアウグスティヌスの数々のラテン語の引用はほとんど理解できた。ヨーロッパの思想書を読む際はラテン語は不可欠であり、学習していてよかったと思う。
後半部はよくわからないメタファーのオンパレードであり、アガンベンの人間観とリンクしないと完全には理解できないと思われる。言っている事は理解出来たが本当に何を言いたかったのかいまいち分からない。
アガンベンの本はその代表作である「ホモ・サケル」を読んだ事があるが、隠された性欲にこだわるフロイト学派の本が私の理解に苦しむように、フーコー流生政治の流れを汲むアガンベンの本は私には余りしっくりこなかった。
「スュールレアリズム/アンドレ・ブルトン」「暴力批判論/ヴァルター・ベンヤミン」を併読しているが、ヨーロッパの思想は本質的に間違った言説(フロイト学派とフーコー学派の事)を捨象して新たな地平に入るべきである。
次は「千のプラトー/ジルドゥルーズ・フェリックスガタリ」を暇に飽かして適当に読むつもりである。
jleo