忙しい毎日が風邪引きで途切れて思う(かなりの長文である)。
「暇な時間を作るとロクな事に使わない」というスタンスで一週間の時間を埋めたわけだが、時間がバッティングしたり休憩時間がほとんどなかったりでよくよく考え感じてみると疲れるスケジュールである。
投資の方も「遊んでいる資産があるとロクな事に使わない」というスタンスで、貯金の全額を投資に回しその上がりで生活するというコンセプトを設計したが、貯金できている現状において何か無駄遣いしそうである。
ちなみにこの二年の無駄遣いと言える身の回りの生活用品100万円は、この円安で賄えてしまうので結果としてはマイナスにはなっていない。
とはいえお金の方は無駄遣いと言っても刀もギターも買わないし政治にも女にも使わない以上今の私の生活ではまぁ大丈夫であろう。
さて時間の方であるが、テニス・居合・ジムはそこまで負担となっていないので、問題は語学とギターである。
時間が余ってしまうと無駄遣いしてしまうというスタンスは、「生産的な時間の使い方がある」という認識と「無駄な時間は無駄になる」という認識があると思われるが、その認識から点検したい。
生産的な時間の使い方とは何か。生産的な結果が出るという事だろうか、充実感という事だろうか。そして無駄な時間とは何か。ここで「古典外交の成熟と崩壊/高坂正尭」に言う「貴族」の概念が参考になる。
ウィーン体制に関する同書の解説の中で中西寛はヨハン・ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」の考え方が当時の人々に支配的だったという点に触れ、高坂の同書は当時のサロンの雰囲気を醸す事に成功している、とする。
「ホモ・ルーデンス」のような「遊び」として趣味をやる、というスタンスなら、ギターはちょうど良いが語学はやり過ぎである。
授業の予復習と独学のコンビを並行させるより、授業や独学のコマ数を減らしクオリティを上げる方が良い気がしている。
現時点から4月の演奏会まではギターを弾く時間を倍増させたいのもあり、研究会も休みなので語学の方を手薄にしていく方向である。具体的には授業の予復習は授業の合間にしかやらない方向。
どの趣味についても「遊びとしての充実感」を志向し、時間配分を考えたい。
ギターの方は曲想を付けるに辺り「イマジネーションが足りない」とギターの先生に言われて閉口している。政治的イマジネーションと音楽的イマジネーションは同じだろうか。
政治的イマジネーションは日常生活の中で鍛える機会・伝えたい感性・自律的インセンティブ・才能・究極のツール(このツール)もあるため鍛えないわけにはいかないが、現在私の音楽的イマジネーションにはそれらがないのである。
というわけで、音楽の方でもそれらを揃える事が私の思想のレベルをギターの腕前とリンクさせそれを上げるのに必要だと思われる。具体的にはこのツールで発散させている自己対話欲・自己顕示欲・真理追究欲等の欲求を趣味の方で発散するようにシフトする事が、趣味の腕前を向上させる最良の妙薬だろう。
そこで日課の組み換えを行いたい。ギター・ギリシャ語・ラテン語・法律・数学・読書を各30分ずつやっていたわけだが、ギター・語学・読書に大別し1時間ずつとする。
「遊んでいる資金を有効活用する」というメンタルと「時間を遊びに費やす」というスケジュール設計思想の両輪でやっていきたい。文化的遊びをスケジュールに組み込む上で必要なお金については出し惜しみしないという事である。
私にとって文化的遊びとは何か?端的にはこのツールでの思想活動である。ギターや語学は極めようと思うと時間とお金と努力が必要だが、このツールでの思想活動なら生活の合間に出来るし通信費しかかからず私が今習得している技術で充分切り回せているため努力もいらない。
逆に言えば、このツールでの思想活動が他の分野での技術向上を妨げているようにも思える。そこで政治士官を辞めてみて、ギターや語学の能力向上に寄与するところがあるか試してみようと思ったわけである。
風邪引きによってその実験は中断しているが、風邪が治る前にスケジュールの設計思想に「遊び」の概念を取り入れ、風邪が治ったら新規スケジュールを回していけるかどうか試してみるつもりである。具体的には楽しんでやれる程度に趣味の時間を調整する。
思想に関しては自分の思想問題を解決する事・ギターに関しては「シャコンヌ」を弾く事・語学に関しては「ガリア戦記/遠山一郎訳」を読む事がその目的であり導引であったわけだが、どれも先生のお墨付きは出ていないがなんとか出来ているのであり、これ以上各能力を向上させる事のインセンティブというか指針を失いつつある。
私は何か名作をきっちりかっきり固めてそれを応用して基礎を固めるというスタンスであり、基礎から応用していく手法とは余り親和性があるとは言えない。簡単に言えば「名作バカ」なのである(その意味では私は遠山清子(母)型の思考タイプの持ち主である)。
思想に関しても原典より日本人による解説の方が難解に感じたり、ギターに関しても「シャコンヌ」より課題曲の方が理解し難かったり、語学に関しても原典の方が文法書より簡単な気がしている。
能力を向上させるインセンティブとして、自己満足と能力の高い人達からの信頼とがあると思う。自己満足はこれでもかというくらいにやったので、能力の高い人達から信頼を得られるよう努力したい。自分の思想問題にアタックする・「シャコンヌ」にアタックする・「ガリア戦記」にアタックするといった初心にして結論を忘れる事なく、場数を踏んで基礎力を向上させそれらのクオリティ向上に繋げる事、それが私のライフワークとなるであろう。
結論:私の趣味は思想=語学=ギター>ジム=テニス=居合である。仕事は投資家。
jleo
「暇な時間を作るとロクな事に使わない」というスタンスで一週間の時間を埋めたわけだが、時間がバッティングしたり休憩時間がほとんどなかったりでよくよく考え感じてみると疲れるスケジュールである。
投資の方も「遊んでいる資産があるとロクな事に使わない」というスタンスで、貯金の全額を投資に回しその上がりで生活するというコンセプトを設計したが、貯金できている現状において何か無駄遣いしそうである。
ちなみにこの二年の無駄遣いと言える身の回りの生活用品100万円は、この円安で賄えてしまうので結果としてはマイナスにはなっていない。
とはいえお金の方は無駄遣いと言っても刀もギターも買わないし政治にも女にも使わない以上今の私の生活ではまぁ大丈夫であろう。
さて時間の方であるが、テニス・居合・ジムはそこまで負担となっていないので、問題は語学とギターである。
時間が余ってしまうと無駄遣いしてしまうというスタンスは、「生産的な時間の使い方がある」という認識と「無駄な時間は無駄になる」という認識があると思われるが、その認識から点検したい。
生産的な時間の使い方とは何か。生産的な結果が出るという事だろうか、充実感という事だろうか。そして無駄な時間とは何か。ここで「古典外交の成熟と崩壊/高坂正尭」に言う「貴族」の概念が参考になる。
ウィーン体制に関する同書の解説の中で中西寛はヨハン・ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」の考え方が当時の人々に支配的だったという点に触れ、高坂の同書は当時のサロンの雰囲気を醸す事に成功している、とする。
「ホモ・ルーデンス」のような「遊び」として趣味をやる、というスタンスなら、ギターはちょうど良いが語学はやり過ぎである。
授業の予復習と独学のコンビを並行させるより、授業や独学のコマ数を減らしクオリティを上げる方が良い気がしている。
現時点から4月の演奏会まではギターを弾く時間を倍増させたいのもあり、研究会も休みなので語学の方を手薄にしていく方向である。具体的には授業の予復習は授業の合間にしかやらない方向。
どの趣味についても「遊びとしての充実感」を志向し、時間配分を考えたい。
ギターの方は曲想を付けるに辺り「イマジネーションが足りない」とギターの先生に言われて閉口している。政治的イマジネーションと音楽的イマジネーションは同じだろうか。
政治的イマジネーションは日常生活の中で鍛える機会・伝えたい感性・自律的インセンティブ・才能・究極のツール(このツール)もあるため鍛えないわけにはいかないが、現在私の音楽的イマジネーションにはそれらがないのである。
というわけで、音楽の方でもそれらを揃える事が私の思想のレベルをギターの腕前とリンクさせそれを上げるのに必要だと思われる。具体的にはこのツールで発散させている自己対話欲・自己顕示欲・真理追究欲等の欲求を趣味の方で発散するようにシフトする事が、趣味の腕前を向上させる最良の妙薬だろう。
そこで日課の組み換えを行いたい。ギター・ギリシャ語・ラテン語・法律・数学・読書を各30分ずつやっていたわけだが、ギター・語学・読書に大別し1時間ずつとする。
「遊んでいる資金を有効活用する」というメンタルと「時間を遊びに費やす」というスケジュール設計思想の両輪でやっていきたい。文化的遊びをスケジュールに組み込む上で必要なお金については出し惜しみしないという事である。
私にとって文化的遊びとは何か?端的にはこのツールでの思想活動である。ギターや語学は極めようと思うと時間とお金と努力が必要だが、このツールでの思想活動なら生活の合間に出来るし通信費しかかからず私が今習得している技術で充分切り回せているため努力もいらない。
逆に言えば、このツールでの思想活動が他の分野での技術向上を妨げているようにも思える。そこで政治士官を辞めてみて、ギターや語学の能力向上に寄与するところがあるか試してみようと思ったわけである。
風邪引きによってその実験は中断しているが、風邪が治る前にスケジュールの設計思想に「遊び」の概念を取り入れ、風邪が治ったら新規スケジュールを回していけるかどうか試してみるつもりである。具体的には楽しんでやれる程度に趣味の時間を調整する。
思想に関しては自分の思想問題を解決する事・ギターに関しては「シャコンヌ」を弾く事・語学に関しては「ガリア戦記/遠山一郎訳」を読む事がその目的であり導引であったわけだが、どれも先生のお墨付きは出ていないがなんとか出来ているのであり、これ以上各能力を向上させる事のインセンティブというか指針を失いつつある。
私は何か名作をきっちりかっきり固めてそれを応用して基礎を固めるというスタンスであり、基礎から応用していく手法とは余り親和性があるとは言えない。簡単に言えば「名作バカ」なのである(その意味では私は遠山清子(母)型の思考タイプの持ち主である)。
思想に関しても原典より日本人による解説の方が難解に感じたり、ギターに関しても「シャコンヌ」より課題曲の方が理解し難かったり、語学に関しても原典の方が文法書より簡単な気がしている。
能力を向上させるインセンティブとして、自己満足と能力の高い人達からの信頼とがあると思う。自己満足はこれでもかというくらいにやったので、能力の高い人達から信頼を得られるよう努力したい。自分の思想問題にアタックする・「シャコンヌ」にアタックする・「ガリア戦記」にアタックするといった初心にして結論を忘れる事なく、場数を踏んで基礎力を向上させそれらのクオリティ向上に繋げる事、それが私のライフワークとなるであろう。
結論:私の趣味は思想=語学=ギター>ジム=テニス=居合である。仕事は投資家。
jleo