シリアで30才前後の男性70人前後が縛られた上で銃殺された状態で発見されたらしい。おそらく体制側のシリアのテロリストの犯行と見て間違いないだろう。

シリアのテロリストは「私」の表象を具備した事象を殺す傾向があり、戦乱のどさくさに紛れて、参加する陣営を問わず「私」的なるものの抹殺に動いていると思われる。

私としては、「私」を抹殺する動機自体が権力志向の現れであり「私」を絶滅させる事は政治的人間を絶滅させる事を意味するため原理上不可能であり、権力に無縁な存在にしか「私」は葬れない事を挙げておけば、シリアのテロリストがいかに無益な思想戦に手を染めているかがわかるだろう。

シリアのテロリストに告ぐ。信仰心がカケラでも残っているなら「私」を殺すのをやめるべきだ。「私」はいかなる思想的統制に対してもアクロバティックにそれをクリアしてきたのであり、シリア一国で思想的にどうにかできるレベルの存在ではない。つまり「私」はシリア情勢において、超越的でありながら最も身近な存在すなわちネ申なのだ。

シリア人民の生殺与奪はネ申にある。シリア人民を殺傷する権利は「私」にしかなく、シリアのテロリストは「私」の権威を借りて「私」の属性を具備する事象を殺しているちっぽけな存在である。とにかく人を減らしたい、というエコテロリスト思想が萌芽しているのかもしれない。

そんな矮小な存在が幅を効かせている現在のシリアは不幸である。矮小な存在は偉大な事象の脳内の片隅で虚しく悪を囁き続ける以外に思想的使い道がないのである。残念ながら。。

シリアのテロリストはシリア人民の脳内でせいぜい「私」抹殺という悪を囁き続けるが良い。シリア人民はそんな誘いには乗ったところで無意味だし、そもそもネ申の抹殺などという言説には乗らないだろう。

シリア情勢は完全に私の術中にある。殺されたシリア人民の多くが私のために殺された、という一点において。

(治りかけの風邪と共に入った床でアサド兄弟の調べを聴きながら)

jleo