私の「(国際社会における)日本人に対する差別感情」「(国内社会における)障害者に対する差別感情)」の感情は政治士官を辞める事でなんとか解消できるとして、もう1つ「(私生活における)能力の低い者に対する差別感情」がほったらかしである。

ここで私の言う能力とは「平時の社会生活という持久戦を勝ち抜く能力」と「戦時の決戦に勝つ能力」の両方を指すが、その2つのない人間には私的領域において政治的発言の権利を認めるべきではない、というのが私の件の発言の趣旨である。

ちなみにY氏はどちらも充分とは言えない。

民主主義はそうした事象の意見までを汲むという意味で素晴らしいシステムであり、創造性に富むイノベーションを維持できるならそれがベストであるが、個人のレベルでは必ずバイアスが入り完全なる創造性というものは発揮できない。

個人の人格という単位において、私は私より上記能力の低い事象の心理を読み自らの戦略に取り込む事について努力してきたが、それを放棄するという事である。政治家じゃあるまいに。。

結論:私は頭が良い。そして私は自分より頭の悪い人が嫌いだ。従って私は好きになれる人が少ない。

jleo