問:自ら戦場に身を投じない戦争は成立するか?
回答:思想レベルで戦場にいる事象に自らを化体させ、その事象が挙げた戦果や受けた傷を心理的に共有する事は戦争ではないのか、もう少し認識レベルを下方遷移させれば戦場での敵兵殺害行為に直接間接に便宜を図る事は戦争ではないのか、という事である。
それらは戦争の一態様一局面ではあるが、自分の手で敵兵を殺害した(思想的)手応えがあった時、それは戦争となると考える。
戦時の指導者が銃後でやるべき事は、戦地に生じた敵味方の痛みを共有しその軽減に努める事・戦場で上がった成果を共有しその称揚に努める事である。つまり情報戦であり、それ以外に出来る事はない。
情報戦は戦争か?人の生殺与奪を情報という形で握り、自ら発信する情報の信頼性を賭けて敵兵の損耗を狙うならばそれは戦争である。
発信する情報の信頼性が失われれば敗北、敵兵を戦場にて損耗できれば勝利。その繰り返しこそが情報戦というものである。
私は情報処理戦争には一日の長がある。我が邦に対する敵対行為は私に対して情報戦を挑む事に等しく、目の前にある物以外の全てを失う可能性がある事を、(アッラーの名において)我が邦の潜在敵諸君に警告しておく。。
jleo
回答:思想レベルで戦場にいる事象に自らを化体させ、その事象が挙げた戦果や受けた傷を心理的に共有する事は戦争ではないのか、もう少し認識レベルを下方遷移させれば戦場での敵兵殺害行為に直接間接に便宜を図る事は戦争ではないのか、という事である。
それらは戦争の一態様一局面ではあるが、自分の手で敵兵を殺害した(思想的)手応えがあった時、それは戦争となると考える。
戦時の指導者が銃後でやるべき事は、戦地に生じた敵味方の痛みを共有しその軽減に努める事・戦場で上がった成果を共有しその称揚に努める事である。つまり情報戦であり、それ以外に出来る事はない。
情報戦は戦争か?人の生殺与奪を情報という形で握り、自ら発信する情報の信頼性を賭けて敵兵の損耗を狙うならばそれは戦争である。
発信する情報の信頼性が失われれば敗北、敵兵を戦場にて損耗できれば勝利。その繰り返しこそが情報戦というものである。
私は情報処理戦争には一日の長がある。我が邦に対する敵対行為は私に対して情報戦を挑む事に等しく、目の前にある物以外の全てを失う可能性がある事を、(アッラーの名において)我が邦の潜在敵諸君に警告しておく。。
jleo