シリアで、反政府側が拠点を制圧し捕らえた政府軍の兵士を処刑したらしく、国連人権委が「新たな戦争犯罪の可能性が高い」とコメントした。

反政府側が非戦闘員を攻撃した政府軍の兵士を見せしめあるいは断罪のために処刑したわけであるが、国際交戦規程では「捕虜は自軍将兵と同等に扱わなければならない」「戦場で捕らえた敵将兵を殺害しても罪には問われない」等規定されており、今回の事例はそのグレーゾーンに差し掛かる微妙な問題である。

該事例は、非戦闘員を攻撃する(交戦法規違反を犯した)交戦団体構成員が捕虜となった暁には交戦法規に則った保護が受けられない場合もあるという一つの警告になっているという意味で、不器用ながら我が「国連交戦監視軍」の思想を実践した実例であると言える。

この点我が「国連交戦監視軍」は「非戦闘員の保護」がその直接の契機でありかつその活動限界である。「捕虜の保護」等交戦法規の停戦パートを受け持つのは言わずと知れた「国連停戦監視団」である。

交戦監視軍は停戦監視団のサポートがあってこそ思想的精華を適法に実現できるのであり、停戦監視団は交戦監視軍のサポートがあってこそ説得的で実効的な役割を果たす事ができる。

私は思想的・政治的に国連交戦監視軍の役割を演じる事が可能であり、国連は軍事的な停戦監視団の機能を果たす事ができる。その意味で私が今般のシリア内戦において思想的覇権を志向したり、国連人権委が今般のシリア内戦における戦争犯罪を指摘し警告している事には意味がある。

ちなみに、私は軍事的な国連交戦監視軍が新たな戦争犯罪の温床になる危険性を熟知している故に、前便で明記したように国連交戦監視軍の隊員には「自らが非戦闘員を攻撃した場合には自害できる事」を条件として求めたい。その条件をクリアする軍人は世界中探しても(一部のサムライ等を除き)ほとんどおらず、従って軍事的な国連交戦監視軍が私的に結成されても公的に設立される事はない。国連人権委の心配は無用である。

とは言え、シリア政府軍と反政府側が我が国連交戦監視軍の気概を持って行動する事が可能である。

非戦闘員に対して武力を行使する事象が思想的に衰微し政治的に凋落する、そうした私が活性化させた神がしかけた罠にはまる前に両紛争当事者は、戦闘員同士のドンパチはあくまでシリア国民の問題として、非戦闘員への攻撃は前国家的・世界政治的問題として認識し、非戦闘員に対する武力行使を停止すべきである。

jleo