「形而上学叙説/ライプニッツ(河野与一訳)」を読んでいると、中世の神が非科学的に全能だった事が痛い程伝わってくる。

そんな全能を備えた存在が思想レベルにおいてだけ存在している状態が、私が目指しまた実現しているものである。

ネットワークの原動力にしてハブとなる私という思想イメージを全能の存在として(同時に「国家、それは私だ(ルイ14世)」的に一人の人間として)演出する事で、言うなれば「新しい中世(田中明彦)」を世界政治の思想レベルで維持・発展させる事が私の使命である。

「神は死んだ(ニーチェ)」時代である「近代の超克(廣松渉)」を志向し「現代の預言者(ムハンマド)」として「思想レベルの神(全能者)(遠山玲央)」を私の自我に措定する事、そしてその全能者を「権力とはそのものとして悪である(ブルクハルト)」的にコントロールする事こそが、私の行動の実態である。

我が大和の「神惟(かむながら)(迪宮裕仁)」を社会に還元し同時に制御する事、それが私のライフワークとなろう。

ところで、ここまで言を引用してきた偉人の半分は欧州人でありその意味でEUのノーベル平和賞受賞は必然であるが、わざわざ債務問題に悩む今年に授与する必然性はないと思われる。

ここ数年ノーベル委員会はノーベル平和賞の授与先に悩んでおり、悩んだ結果合理的でない結論を出す傾向にある。その意味でオバマ氏もジョンソン・サーリーフ氏も劉暁波氏もEUもイメージ先行であり、彼らが実際にやっている事について精査していない印象がつきまとう。

あるロシア人活動家の「ノーベル賞はつまらなくなった」という言は当たっている。

ノーベル委員会には、ノーベル賞を面白くしたければ私に授与してみる事をオススメする(強制ではない)。。

jleo