「アイアンマン2」がテレビでやっていたので、以前買った同作のDVDを引っ張り出して来て観た。

作品内で言及されていた「世界平和の民営化」というキーワードについて、もしそれが実現されたらどうなるかについて考えてみた。

軍事力を民営化しない事については、軍事諜報関係の泥沼を国民の目に晒さずに済む事・人間の命がかかった時お金では買えない価値に命を懸ける人材を集めるには一般企業は適当ではない事・商業主義が民主的コントロールを逸脱しないようにする事などが理由として挙げられるだろうか。

軍事力を民営化するのは、警備会社の延長として軍事力を捉える思考様式につながり、警察と自衛隊を厳格に区別する日本国のような国では政治文化として根付かないだろう。

「アイアンマン2」では、アメリカの軍事力による覇権へのアンチテーゼとして「軍事力の民営化」という概念が提起されたと思われ、主人公が軍需産業の社長である事を上手く使った軽口に過ぎないのかもしれない。

私が情報時代の核兵器にも匹敵するツールを駆使して全く個人の権限で世界平和を演出した事は「世界平和の民営化」という事もできるが、それよりも「真の民主主義」と言った方がよいように思う。

民主主義の本質たる「思想をいかようにも定義できる事」を、あのツールを使ってスーパーハイポリティクスとスーパーローポリティクスで実現した結果、その副次的効果として世界平和が実現したのである。

私は、私のスーパーローポリティクスにおいて発生した問題(心千々に乱れ)をスーパーハイポリティクスにおいて発生した問題(戦争)とリンクさせ私の心と世界の平和を守ったのである。

「心、ひらいて」「世界平和の民営化」を成し遂げた私に私は個人的に「大和平和賞」を授与したい。賞金は6年前に授与されているが、その運用益については主に自分へのご褒美を買う事に費やそうと思う(月に一度大きな買い物をする、くらいのスタンスで考えている)。

今年のノーベル平和賞が誰に与えられるかは知らないが、私が私に授与した「大和平和賞」はそれ以上の栄誉を付帯すると確信している。なぜなら、私自身の(自身によって許された)思想的自由を手に入れたのだから。

jleo