「サイアク(10代女性)」「死ね(30代女性)」「中途半端(40代女性)」「せいっ(10代女性)」という民意があった。
第一点は私に対するシミュレーションレベルの合理的否定感覚である。私は恋愛感情を政治戦略に組み込んでおり、純情な乙女にしてみれば恋愛を政治利用されていると思っても致しかない事をしている。
「サイアク」を返上するためには、恋愛感情を政治的に活用せず「プライベートたる恋愛を守るパブリックな政治」という姿勢をきっぱりと打ち出す事だが、恋愛情勢の分析を応用した政治システム認識が私の政治的原点でありその意味でそれは空約束となる公算が高いため、やめておく。
政治的認識を持つ10代の女子には、私が私に対する恋愛感情を政治的に操作・利用する事について「サイアク」と思う事が真っ当な感覚である。換言すれば私の手法を「サイアク」と感じる事が我がGPA参加の資格といってもよいだろう。ゴメンね。。
第二点は私との交戦であり、シミュレーションレベル・現実レベル・実戦レベル・思想レベル・量子論レベルの思考類型で言えば、私の宣戦布告により思想的現実性粒子の滞留が上方遷移したと仮定して実戦レベル>思想レベルであろう。
ちなみに「死ね」と「殺す」の違いは、前者が対象に対する自然現象的な死の到来を望むのに対し、後者は人為的な死を強制する殺意の意図の発露である。
また日本国刑法上「死ね」という言葉が傷害罪を構成するためには、私が自殺したり何か犯罪に及ぶ際の動機にしたりするか「死ね」という言葉に言行一致する私に対する殺傷行為が付随する必要があり、現段階ではそれを構成する虞はないと言ってよい。つまり、合法的な戦闘である。オマエがな。。
第三点は、私の現実レベルではなく思想レベルで克つ事を目的とした戦略の所産であり、思想に死活的利益を見出だしていない(あるいは見出だせない)日本人には理解に苦しむ仕様になっている事からくる正直な所感である。
世界政治における思想的覇権を維持しつつ現実を勝ちにいく戦術に切り替え、「中途半端」「優柔不断」といったそしりを返上したい。そのためにはシミュレーションレベルの優位をかなりの程度放棄する事を覚悟する必要があるだろう。すなわち政治的現実性粒子をシミュレーションレベル>現実レベルに遷移させる事になる。中庸と言ってくれ。。
第四点は「精」つまり私の男性機能に対する女子の恋略的認識であり、私を恋愛対象と見ている証左であると同時にそれをシニカルな物理現象として認識しているという感性の表明である。
これは思春期の理系女子にありがちな反応であるが、認識レベルとしてはシミュレーションレベル>現実レベルであり、もっと恋愛について政治力に見合った積極性を発揮すべきであるという私へのアプローチと言ってよい。考えさせてょ。。
このように、私は男性の民意については余り頓着していない。
jleo
第一点は私に対するシミュレーションレベルの合理的否定感覚である。私は恋愛感情を政治戦略に組み込んでおり、純情な乙女にしてみれば恋愛を政治利用されていると思っても致しかない事をしている。
「サイアク」を返上するためには、恋愛感情を政治的に活用せず「プライベートたる恋愛を守るパブリックな政治」という姿勢をきっぱりと打ち出す事だが、恋愛情勢の分析を応用した政治システム認識が私の政治的原点でありその意味でそれは空約束となる公算が高いため、やめておく。
政治的認識を持つ10代の女子には、私が私に対する恋愛感情を政治的に操作・利用する事について「サイアク」と思う事が真っ当な感覚である。換言すれば私の手法を「サイアク」と感じる事が我がGPA参加の資格といってもよいだろう。ゴメンね。。
第二点は私との交戦であり、シミュレーションレベル・現実レベル・実戦レベル・思想レベル・量子論レベルの思考類型で言えば、私の宣戦布告により思想的現実性粒子の滞留が上方遷移したと仮定して実戦レベル>思想レベルであろう。
ちなみに「死ね」と「殺す」の違いは、前者が対象に対する自然現象的な死の到来を望むのに対し、後者は人為的な死を強制する殺意の意図の発露である。
また日本国刑法上「死ね」という言葉が傷害罪を構成するためには、私が自殺したり何か犯罪に及ぶ際の動機にしたりするか「死ね」という言葉に言行一致する私に対する殺傷行為が付随する必要があり、現段階ではそれを構成する虞はないと言ってよい。つまり、合法的な戦闘である。オマエがな。。
第三点は、私の現実レベルではなく思想レベルで克つ事を目的とした戦略の所産であり、思想に死活的利益を見出だしていない(あるいは見出だせない)日本人には理解に苦しむ仕様になっている事からくる正直な所感である。
世界政治における思想的覇権を維持しつつ現実を勝ちにいく戦術に切り替え、「中途半端」「優柔不断」といったそしりを返上したい。そのためにはシミュレーションレベルの優位をかなりの程度放棄する事を覚悟する必要があるだろう。すなわち政治的現実性粒子をシミュレーションレベル>現実レベルに遷移させる事になる。中庸と言ってくれ。。
第四点は「精」つまり私の男性機能に対する女子の恋略的認識であり、私を恋愛対象と見ている証左であると同時にそれをシニカルな物理現象として認識しているという感性の表明である。
これは思春期の理系女子にありがちな反応であるが、認識レベルとしてはシミュレーションレベル>現実レベルであり、もっと恋愛について政治力に見合った積極性を発揮すべきであるという私へのアプローチと言ってよい。考えさせてょ。。
このように、私は男性の民意については余り頓着していない。
jleo