五弦会(KCGCOB会)・第一回練習が終了した。

「涙のトッカータ/ポール・モーリア」と「粉屋の踊り/ファリャ」をいきなり合わせたが、初回ながら前者は結構形になっていた。

やはり現役時代に弾いていた人は今でも普通に弾けるので、青春時代に体に叩き込んだ技術というのは染みていているものだと思った。定年間近までその技術を高め続けるのは並大抵の事ではない。メインメンバーは皆優秀である。

私は何を青春時代に体に叩き込んだだろうか?

ギターか、文章術か、ゲーム(思想的シミュレーション)術か、勉強術か。

10代でゲーム術を鍛え20代で文章術を修得、30代になって古典語に本気で取り組みやっと勉強のコツをつかんだわけである(ギターは趣味)。

その技術を今も高め続けているか?

ゲーム術も文章術も勉強術もギターもそれなりに高めているが、往時程の爆発的な能力の伸びは実現していない(現在は、ゲームはDQX・文章術は読書とこのツール・勉強術は古典語・ギターは兼古ギターメソッドと五弦会で鍛えている)。

「基本職」の伸び代は明らかに狭まったがまだないわけではないし、能力を複合的に組み合わせた「上級職」たる思想家としての成長をも期すべきである。

私がなぜ思想をライフワークに選んだかと言えば、「思想的エートスを体現していれば聴衆が何を考えていてこちらの言動をどう受けとるかが大体分かる」私の生得の能力をフルに活かすためと、思想ならば体が動かなくなったりたとえ死んだとしてもその所業はイメージとして生き残ると考えたからである。

頭さえしっかりしていれば思想的思考に身を委ねる事はできるので、最高に生産的な暇潰しなのである(私見)。

思想家とは何をする人々の事か?

危機の時代にあってそれを分析しその問題点を解決するアイデアを人民に供給する人々の事である。

私は思想家か?

危機の時代を自分の心に取り込み体現し分析しその問題点について解決策を提示しているという点で思想家であったが、現在は危機の時代ではなく正確には「危機に対処する事を生業にしている人々にとっての」危機の時代であり、そうした現在にあっては私は思想家たらんとするよりゲーマー・物書き・ガリ勉・ギタリストでいたい。

従って私はまだ思想家にはなりきれていない。次の危機の時代までしばしの休息、各技術を高める事に努める事にする。

時が来たら私の各技術は全て思想の神のために捧げる。そのために私は技術を鍛えてきたしこれからも鍛えていくと後付けながら運命を感じる次第。

・・ギターの練習でこんな事を考えているだけで思想家の素質あり、であろう。

jleo