お昼を食べた蕎麦屋で「天丼セット」が「天皇制」に聞こえた。

で、改憲論と併せて天皇制について。

明治憲法はシミュレーションレベルで・昭和憲法は実戦レベルで外圧を受けた革命の結果出来た憲法であるが、第三の革命には思想レベルの外圧を受けた革命が必要である。

それは、2つの憲法を有機的に結合させたモノに自律的第三者運用原理を加えたものになるだろう(2つの憲法が刀と鞘だとしたら、その操刀術を憲法典に加える必要がある)。

具体的には大和を展開する者(天皇とは限らない)がマクロ戦略的・ミクロ戦術的に「日本という刀」を運用するという事である。

大和を展開する者は、日本社会に「原子炉の内部圧力(臨界状態にする圧力)」をかけ、また半歩外部に思想的位置を取り日本社会の「熱量(対外的な思想的ほとばしり)」をコントロールしなければならない。

皇族が社会内部で「炉心」をコントロールする時は社会外部にいて思想をコントロールし、皇族が社会非内部で思想をコントロールする時は社会内部で「炉心」をコントロールする、(私のような)「大和機関技術者」が日本社会には必要である。

従って、新しい憲法は皇族の政治的権能を明記した上で「大和機関技術者」の地位をも明確にしたものでなくてはならない。

我が大和憲法はあつらえたようにそうした構成になっており、我が大和憲法が日本において実現されるよう外圧をかけていきたい(それは世界レベルでの我が大和憲法の実現という形でなされるだろう)。

ちなみに文面は私のホームページ「某のブログ」で公開されている(日本語のみ)。

jleo