ある認識系で能力を高めるには、他の認識系の思想を固定化した上でその認識系に流動性を供給する事である。

例えば法的能力を高めたい場合に政治思想が揺らいでいてはマズいのである。

私は世界政治レベルでは「unlimited brade works」だが、日本政治レベルでは「無限ブレ枠」である。つまり私の国内法の知識はその思想になる前に蓄えた知識が大半であり、このままでは延びしろがない。

世界政治も安定してきた事だしその安定を最低限維持する政治力は維持するとしても、知識を拡充するためにも国内政治用に別に思想を立案して対応した方がいいように思う。

日本の問題を十八プランを基調としKCGCプランで補完し解決しようとするのはあくまで世界政治レベルの問題の話であって、日本の政治というものにどう対していくかをそろそろ決めなくてはならない。

ただ、思想を立案するには政治を体感し次いで体現し思想として体に埋め込む工程を経なければならない。

世界政治については現状その工程を経ているが、殊日本国内政治においてはそれが全く抜け落ちていると言っても過言ではないのである。

私が日本でどういう思想を繰るかとは、日本の政治問題が私の私生活をどれだけ犯すかの問題である(その点世界政治は私の私生活を犯しまくりであり、私が世界政治レベルで思想家なのはこのツールを知っている人にとっては承前だろう)。

この点私は日本で何不自由ない悠々自適な生活を送っており、日本政治が私の私生活を犯す片鱗すらないのが実情である。私を攻撃する事に理も利もない事を日本の政治家はよく分かっている。

従って私の日本思想は「日本の国内政治とは無関係を決め込む」に落着せざるを得ない。

今まで通り私と日本国とはお互い無関心、互いの領域において全力を尽くし互いの領域を犯さないようにしようではないか。

「原発」「消費税」「オスプレイ」「TPP」「橋下」「刀」などのイシューはこの紳士協定に対する挑戦だったわけであり、意見したまでである。

というわけで、政治はプロに任せよう。。

jleo