「世界の共同主観的存在構造/廣松渉」を読んでいる。
認識論の課題・現象的世界の存在構造・言語的世界の存立構造と読み進め、次の歴史的世界の存立構造で第一部が終わる構成である。
言語が共同主観的に定述される事でコミュニケーションツールとして成立する、という分析はなるほどと思った。
欧米の哲学は文字通り形而上学であるのに対し(例えばハイデガーが「存在と時間」を主著の主題に据えた理由はその本をいくら読んでも不明であるし、ドゥルーズとガタリが「資本主義と分裂病」でそれを主著の主題に据えた理由も不明である)、廣松の哲学はあくまで日常の実践の延長にあり、格調高い感じはしないが平易で読みやすい。
暇潰しには持ってこいの大著である。
jleo
認識論の課題・現象的世界の存在構造・言語的世界の存立構造と読み進め、次の歴史的世界の存立構造で第一部が終わる構成である。
言語が共同主観的に定述される事でコミュニケーションツールとして成立する、という分析はなるほどと思った。
欧米の哲学は文字通り形而上学であるのに対し(例えばハイデガーが「存在と時間」を主著の主題に据えた理由はその本をいくら読んでも不明であるし、ドゥルーズとガタリが「資本主義と分裂病」でそれを主著の主題に据えた理由も不明である)、廣松の哲学はあくまで日常の実践の延長にあり、格調高い感じはしないが平易で読みやすい。
暇潰しには持ってこいの大著である。
jleo