西郷隆盛が西南戦争を起こしたのは、自身に対する士族(旧勢力)の信望を活用し反乱を自ら指揮し新政府に敗れる事で、外に敵を作る事なく明治政府の交戦権を確定させるためだったのではないか。

簡単に言えば、戦士である自分の子供の最初の殺人(父殺し)の相手になった、という事である。西郷隆盛は子供思いが高じて子供に殺されてしまったのである。

西郷隆盛は、大日本帝国に戦士としての自覚を植え付けてしまったという意味で、その後の大日本帝国の栄光と挫折に責任があると言えるだろう。

jleo