政治の富分配機能は、本質的機能ではなく社会システムの機能分担の結果だと考える。

政治富分配の機能は社会システムにおいて固有のものではなく消去法的に割り当てられたものであり、社会原理的に言えば「富の分配を生業とする政治家」という職業の人間は必要ないのである。

特に日本ではそういう「富分配型政治家」が社会にとって本来必要ないものであるという認識が政治家自身にない。

自己を無条件に肯定する自我を富分配型政治家が有する限り、日本の富分配基調の政治システムが官僚主導になるのは至極当然である。

日本の政治の官僚主導を政治主導にするには、富分配型政治家自身が自我を崩壊させ富分配型以外のタイプの政治家になり、日本の政治システムを富分配型ではないシステムに変革する必要がある。

私が掲げた「政治優位」は法律に対する政治の優位であり善解すればそこまで含意していたと言えるが、民主党が掲げた「政治主導」は善解してもそこまで考えていたとはとても思えない。

本来「政治主導」は政治思想家が率先して唱え政治家を導くべきものであり、政治家自身やシンクタンクの研究員には出来ない仕事なのかもしれない。

jleo