「哲学入門/三木清」を読んでいる。

日本哲学は合理的論理で日常のこもごもを説明しようとするため、思考体力の関養にはうってつけであるが、生産性がない。

哲学の生産性とは神知への道程を辿る事である(私見)が、三木清の哲学にはそうした生産性は皆無であり、読後感が「ああ疲れた」というだけになってしまい、はっきり言って読む意味がない。

三木清は西田幾太郎の解説で名を馳せた哲学者だが、この分では西田哲学も生産性がないように思えてならない。

日本哲学の思考体力に感心しつつ、(太平洋戦争時に米軍がやった飛び石戦術のように)スルーしようと思う。

jleo