「哲学とは何か/ジルドゥルーズ・フェリックスガタリ」を読了した。
後半は、「科学」と「哲学」の違いについて述べた後「芸術」を加えた三平面がカオスから生成した「カオスの娘」である、というのが骨子である。
私が大学時代作成したレポートによれば「ある物事に絶対性を持たせ、それに基づいてあるいはそれに向かって思考を働かせ何らかの結論を出すという点で科学と哲学は似ている。その絶対視する対象が、統一された言葉の認識やそれがもたらす結果であるものは科学であり、言葉そのものあるいは自分の考えであればそれは哲学である」となる。
その言い方に則せば、科学を内包した哲学は芸術である、という事になるだろうか。
ドゥルーズは芸術を取ってつけたように持ち出し科学と哲学の二者に並置するが、私は芸術は別の評価関数に属するパラメーターだと想う(「芸術」は「学」ではないのだ)。
正直言えば、ドゥルーズのキーワードは魅力的な響きを持っているが論理構成はそれほど輝きを放っていない(美しいと感じない)。
ドゥルーズ以外のフランス哲学者にも当たり、自分に合う人を見つけたいと思う。
次は「精神分析云々/ジャック・ラカン」である。
jleo
後半は、「科学」と「哲学」の違いについて述べた後「芸術」を加えた三平面がカオスから生成した「カオスの娘」である、というのが骨子である。
私が大学時代作成したレポートによれば「ある物事に絶対性を持たせ、それに基づいてあるいはそれに向かって思考を働かせ何らかの結論を出すという点で科学と哲学は似ている。その絶対視する対象が、統一された言葉の認識やそれがもたらす結果であるものは科学であり、言葉そのものあるいは自分の考えであればそれは哲学である」となる。
その言い方に則せば、科学を内包した哲学は芸術である、という事になるだろうか。
ドゥルーズは芸術を取ってつけたように持ち出し科学と哲学の二者に並置するが、私は芸術は別の評価関数に属するパラメーターだと想う(「芸術」は「学」ではないのだ)。
正直言えば、ドゥルーズのキーワードは魅力的な響きを持っているが論理構成はそれほど輝きを放っていない(美しいと感じない)。
ドゥルーズ以外のフランス哲学者にも当たり、自分に合う人を見つけたいと思う。
次は「精神分析云々/ジャック・ラカン」である。
jleo