今週のギターレッスンが終了した。
前のレッスン受講者が「歌と踊り第一番/アントニス・ルイス・ピポー」と「サンバースト/アンドリュー・ヨーク」を練習していたが、どちらも速いが繰り返しが多く運指が一部を除き難しくない曲であり、「大聖堂・第三楽章型」の曲である。
「サンバースト」は昔音を採った事があるが、練習しているのを聞いて感じた違和感を吐露したところ「そう弾いてた」と言われ「?」であった。
両曲を弾いて、師が私のレッスン前に疲れていたのが印象的であった。もう定年の年齢である。
肝心のレッスンの方は「進歩がない」「課題をこなしてない」「まだ弾くか?」と散々だったが、課題曲が「弾きたい曲」なわけもなく、レッスン後「モチベーションが上がってこない」と言ったところ「モチベーションの問題はでなく、課題だから弾く、という事」と言われ、散々であった。
精神論は理解しているつもりだが、演奏技術の点で師を満足させるには遠く及ばず、無念、惰性でレッスンを続けている状態である。
どうすればよいか、悩みどころである。
ただ無性に「シャコンヌ」が弾きたい。それだけであるが、このモチベーションを「兼古ギターメソッド」を無視して「シャコンヌ」に注いでいる現今である。
ただ「アストゥリアス」についても「大聖堂」についても「兼古ギターメソッド」は修正を施しているだけであり、本質的な影響を与えてはいない。
「シャコンヌ」もその線で行くのは規定路線であり、とっとと音を採って聴いてもらうのがよいように思う。
一日一行で約100日かかる計算であり、「兼古ギターメソッド」にかかずらわっている暇はない(酷)。
ではなぜレッスンを受けるのか。我ながら金と時間の無駄のような気がする(要検討である)。
jleo
前のレッスン受講者が「歌と踊り第一番/アントニス・ルイス・ピポー」と「サンバースト/アンドリュー・ヨーク」を練習していたが、どちらも速いが繰り返しが多く運指が一部を除き難しくない曲であり、「大聖堂・第三楽章型」の曲である。
「サンバースト」は昔音を採った事があるが、練習しているのを聞いて感じた違和感を吐露したところ「そう弾いてた」と言われ「?」であった。
両曲を弾いて、師が私のレッスン前に疲れていたのが印象的であった。もう定年の年齢である。
肝心のレッスンの方は「進歩がない」「課題をこなしてない」「まだ弾くか?」と散々だったが、課題曲が「弾きたい曲」なわけもなく、レッスン後「モチベーションが上がってこない」と言ったところ「モチベーションの問題はでなく、課題だから弾く、という事」と言われ、散々であった。
精神論は理解しているつもりだが、演奏技術の点で師を満足させるには遠く及ばず、無念、惰性でレッスンを続けている状態である。
どうすればよいか、悩みどころである。
ただ無性に「シャコンヌ」が弾きたい。それだけであるが、このモチベーションを「兼古ギターメソッド」を無視して「シャコンヌ」に注いでいる現今である。
ただ「アストゥリアス」についても「大聖堂」についても「兼古ギターメソッド」は修正を施しているだけであり、本質的な影響を与えてはいない。
「シャコンヌ」もその線で行くのは規定路線であり、とっとと音を採って聴いてもらうのがよいように思う。
一日一行で約100日かかる計算であり、「兼古ギターメソッド」にかかずらわっている暇はない(酷)。
ではなぜレッスンを受けるのか。我ながら金と時間の無駄のような気がする(要検討である)。
jleo