youtube上にアップされている非プロの「シャコンヌ」を聴いているが、ジョン・ウィリアムスの「シャコンヌ」が無難に弾ききっている事を再認識した。

「シャコンヌ」は大曲ではあるが、大曲として大上段に構えて仕損じているアマチュアに比べてやはりプロの演奏は違う。全てを技術的に受け止めつつ「こなす」感覚がある。

非の打ち所もないが余り感動もしないジョン・ウィリアムスの「シャコンヌ」が練習用に聴き込むには適当だろう。

曲に対して失礼にならない程度に軽んじる「プロ意識」を私は持つ必要があるかもしれない。

ただ「行動」における各プランをそのように扱う事ができるようになれば私もプロの政治士官であるが、一線級の政治手腕を持ちながらアマチュアである事(思い入れを大事にして軽く扱わない事)が私の「行動」の魅力だと考えられるため、「行動」のアドバンテージ・カテゴリーを維持したいなら政治士官のプロになる線はない。

私が政治をなんのためにするのかという原点を考えると「日常の潤いのため」であり、そうしたアドバンテージ・カテゴリーの維持こそが私の政治行為の死活的利益となる。

従って現状では、私は各プラン(十八・KCGC・投資家・学会・一夫多妻・博覧強記・神知)を「こなす」形でプロになる事はないだろう。プラン逸脱的状況の生起か死活的利益の変容が待たれる。

jleo