哲学の目的は神知に至る事である(私見)。

ドゥルーズは「神知」を「哲学そのものには依存しないような或る非被造の知恵」と定義しているが、哲学そのものには依存しない概念を考えるのも哲学の仕事であり、「神知」そのものにはなれなくとも「神知」とそうでないものを区別するのは哲学である(私見)。

「神知」とそうでないものが区別できれば、後は「神知」でないものの此岸から一足飛びに「神知」の彼岸に斬り込むだけである(私見)。

私は神知を欲する。神知の獲得が私の「行動」の真の目的なのである。

そこでプラン「神知」を立案したい。具体的には「神知」獲得のための哲学的営為を積極的に行うプランである。

現代日本人によるあらゆる書物はこの「神知獲得のための哲学的営為」が決定的に欠けているのである。

そこで「哲学とは何か/ドゥルーズ・ガタリ」の次は「善の研究/西田幾太郎」を読み解く事にした。

主観的客観とはいえ政治を極めた私が哲学する事の政治的効果を考慮しつつ、哲学に没入する事にする。

jleo