今日の民意は「しんっ(喫茶店店員)」であった。

ちょうどその店員のアイデンティティーが店から浮きかけた事を私が感得した瞬間であった事から、「障害者差別の感情は、健常者が障害者然とした態様を為した自分について障害者でない確証を得たいがために他者の障害者的振る舞いにうるさくなる事から生じる」という事が言える。

つまり政治が不安定で有権者に障害者的属性を具備させるようなものなら、「良くない政治が障害者差別を生む」事も道理なのである。

従って「差別のない社会」のためには政治は安定していてもらわなくては困るわけである。

翻って日本では、私の存在により世界思想と家政においては概ね安定しているが、国内思想に有権者が許容仕切れない揺らぎが生じかねない状態である。

従って、重度障害者(国内思想を捨象した結果)で逮捕歴のある(世界思想を優先した結果)私が日本の国政に政治家として携わるには多くの障害が生じるだろう。

世界政治の立場から日本の国政にコミットしてきたが、その余勢を駆って政治士官として日本の国内政治にコミットしてみたい(天下りの謗りも甘んじて受けようと思う)。

手始めに小沢氏に表出するよう圧力をかけ、橋下氏にファシズムでない「解答」を示し、石原都知事の障害者行政を支持してみた。

またそれで分かったのだが、日本の有権者に政治の話に対する忌避感情が薄れたように感じた。間違いなく私の「行動」がその主要因である。

これからも、日本においては私の思想を浸透させつつ選挙では得票しないようにするのが我が党の運営方針である。

jleo