恋愛的要素は、受容素体としての能力を上げる事もあるが、人間関係の障害になる事もある。

「戦争と平和/レオ・トルストイ」や「三銃士/アレクサンドル・デュマ」等の宮廷政治の場面を思い浮かべれば分かりやすいだろう。

政治に携わる者は、恋愛的要素が政治にとって良い影響のみを及ぼすようにそれをコントロールする術をわきまえていなければならないが、日本国の政治はそれをコントロールする労を惜しみ恋愛的要素を政治から隔絶するようになっている。

それが第二次大戦での大日本帝国の振る舞いへの無理解(歴史認識の問題)につながったり、日本国の政治にダイナミズムが欠ける一つの原因にもなっているのである。

恋愛的要素を政治的腐敗の温床と見て政治から隔絶する事は、非政治的な第三者から見れば正しいと映じるが、(私の経験則から言っても)政治の当事者から見ればできない相談であると言わざるを得ない。

日本国の政治は、政治を恋愛的に判断するその国柄(国民性)から言っても、政治に恋愛的要素を加味すべきであると想う。

jleo