私は日本の大衆を相手にするのをやめている。

日本人に政治力がない(政治を遊離させておく事に慣れていない)事からくる、認識が固定した現象で無理やり認識下に置こうとする企てが横行するからである。

日本人は個人として刀を振るっているその瞬間は信用できるが集団として刀を帯びると無責任であり、その「言の葉」は傾聴に値するが例えば「恥の押し付け(恥を共有する事で安心するメカニズム)」には応じない事にする。

日本社会で公的名誉を得る事は思考余力のない日本の大衆の認識下に置かれる事であり、誉め殺しあるいは(権力の)貸し渋りとなるため、私は拒否する。

日本の大衆とは交わらない事が、世界政治における私の権力運用の正しさを担保するのである。

jleo