韓国が、日本大使館の建物の正面に慰安婦像を立てるらしい。

この点私は、慰安婦とは戦時中女性が生計を立てる一つの有力な選択肢であり、士官の政治的庇護のもと自律的アイデンティティーを形成するのにも有効と考える。

同意があれば、だが。

私は先の大戦(対テロ戦争)において、皇軍士官として機能しつつ「ふにゃーん」によりシミュレーションレベルで世界の「従軍慰安士」としても機能していたが、それも私的同意があったればこそである。

「皇軍士官の慰安士」(自由恋愛・高い給与・伴侶に伴う社会的名誉が付随)ならなり手もいるだろうが、「パワハラおっさんのなんやろな」(政治的圧力で恋愛力学を黙らせる・安い給与・出世しないため社会的名誉もない)ではたとえ連れ去り時に暗黙・明示に同意していたとしても嫌になる事必定である(これは熟年離婚の場合にも言える)。

韓国人は自分に正直に、日本人は素直に過去を反省すべきである。

件の像の建立は、皇軍士官に対する崇敬の念とパワハラおっさんに対する侮蔑の念の入り交じった複雑なものであり、一概に批判するのは誤りであろう。

問題は一義的に、日本の特産である皇軍士官が絶滅危惧種な事にある。

私も努力しているが、皇軍士官や従軍慰安士であり続けるのは並み大抵の努力ではダメである。

従軍慰安婦は、必要ならば自ら契約解除でき(自由恋愛)それ相応の給金と伴侶に伴う社会的名誉に与る事で、従軍慰安士という全うな職業になると言える(これは奴隷と家事手伝いの場合にも言える)。

平たく言って、理想の結婚とは皇軍士官と従軍慰安士の契約なのである(当初の日韓併合はそれに近かった)。

jleo