自分の意見の説得力を増すために自分の経歴を公表するのはいいと思いますが、自分の意見の説得力がない事の言いわけに使うのはだめだと思います。
ネット上では不特定多数が情報を得ているわけで情報を選択しているので、言動によって説得力の必要のされ方が違ってくるのが難しいところです。
例えば障害者福祉に言及する場合障害者である経歴は病状の軽重にもよりますが説得力を増すと思いますが、最先端の情報工学の専門家が障害者だったりした場合「あれっ?」と思うわけでバイアスがついてしまうのは避けられないかと。言動の良し悪しにもよりますが。
自分の行動の合法性や倫理的正当性あるいは権威などに自信があれば、障害を公表しても問題は少ないと思います。
例えば鉢呂前経産相の発言などは軽くビョーキなわけですが、合法性はあっても倫理的正当性や権威が弱かったため結局不適格・辞任という事になりました。政治家の失言というのはいつもそんな感じです。ビョーキであってもその三点を抑えている人は強いです。
あとは、個人として言い足りないところをフォローできるだけの信頼関係を構築できた人なら障害について知らせても大丈夫かと。
高校の友人とか企業の採用担当者とか。
そういう信頼関係が出来ていないと偏見というか、症状の状態で人間関係の認識力学が停止してしまうので、公表はマイナスかと思います。
jleo
ネット上では不特定多数が情報を得ているわけで情報を選択しているので、言動によって説得力の必要のされ方が違ってくるのが難しいところです。
例えば障害者福祉に言及する場合障害者である経歴は病状の軽重にもよりますが説得力を増すと思いますが、最先端の情報工学の専門家が障害者だったりした場合「あれっ?」と思うわけでバイアスがついてしまうのは避けられないかと。言動の良し悪しにもよりますが。
自分の行動の合法性や倫理的正当性あるいは権威などに自信があれば、障害を公表しても問題は少ないと思います。
例えば鉢呂前経産相の発言などは軽くビョーキなわけですが、合法性はあっても倫理的正当性や権威が弱かったため結局不適格・辞任という事になりました。政治家の失言というのはいつもそんな感じです。ビョーキであってもその三点を抑えている人は強いです。
あとは、個人として言い足りないところをフォローできるだけの信頼関係を構築できた人なら障害について知らせても大丈夫かと。
高校の友人とか企業の採用担当者とか。
そういう信頼関係が出来ていないと偏見というか、症状の状態で人間関係の認識力学が停止してしまうので、公表はマイナスかと思います。
jleo