私の言動が「クサい」と言われるような時、それは気持ち的に楽になろうとした結果であるように想う。

恋愛的な可塑性というか流動性というかエネルギーの滞留というか、そういうものを確定させようとする意識的・無意識的な圧力がかかっているのである。

私は政治的には「arm-ana」を起点とするGPAを確立しており、GPA理論に貫かれた行動を通じて政治なるものの滞留を自由で遊離的な状態(「いかようにも定義できる」状態)にしておく事には慣れている(それが私の強さであり私の絶大な政治力に直結している)。

だが恋愛的には自由で遊離的な状態に保つのも限度というものがあり、またその状態を保てたからと言って恋愛力があるとは言えない。

恋愛力の関養を目標として、確定させるべきは確定させたいと想う。

jleo